紅銭年表


 中国清朝の乾隆年間から西域で中国銭の鋳造がはじまり、その見た目の色より「紅銭」と総称されます。新彊紅銭大全図説(中華書局出版,1996年)記述を基本に、新疆銭幣(新疆美術撮影出版社・香港文化教育出版社,1991年)やネット上の情報を加え、年表にまとめてみました。他の資料で確認を取ったわけでもなく、また、中国語も読めないのに無理にまとめているところもありますので、間違いその他あるかもしれません。そのような点に気がつかれましたら、飯田へのメールでお知らせ願えれば幸いです。なお、述語は原本のニュアンスの差が分かりませんので、原本の述語をそのまま用いました。

1760年 乾隆25年 叶尓羌(ヤルカンド)に鋳銭局を建てる。
左満文「叶尓奇木(ヤルキム)」と表現(1)
1761年乾隆26年 「叶尓羌」と改訳
阿克蘇(アクス)に正式に鋳銭局を設ける。
1765年乾隆30年 阿克蘇局を烏什(ウージー)に移局

 

6.1g

7.0g
1768年乾隆33年叶尓羌局閉局停炉
1770年
(1771)
乾隆35(36)年 1文の重量を2銭(7.46g)から1銭5分(5.6g)に改定

 

5.7g 隆の文字の変化

1774年乾隆39年 1文の重量を1銭5分から1銭2分(4.5g)に改定

4.8g

1775年乾隆40年 宝伊局建局
1781年乾隆46年 1文の重量を更に改定(1銭(3.7g)に改定?)

3.7g

1799年嘉慶4年烏什局を阿克蘇に再び移動
1800年嘉慶5年 阿克蘇局で鋳造再開。
(嘉慶通寳8割、乾隆通寳2割)

 
 

1800-1820年鋳造

寳伊局で嘉慶通寳

1800-1820年鋳造

1821年道光元年 寳伊局で道光通寳

1821-1850年鋳造

1828年道光8年 阿克蘇局「八年十」「八年五」鋳銭
1840年道光20年 宝伊局暫定的に鋳造停止
1851年咸豊元年 阿克蘇局咸豊通寳當五、當十

1851-1861年鋳造

寳伊局咸豊通寳小平銭

1851-1852年鋳造

1853年咸豊3年 阿克蘇局で大銭鋳造
宝伊局で當十大銭鋳造(1955年まで)
1854年咸豊4年 年末に迪化宝迪局設立計画を進め、鋳造開始
叶尓羌局再開 當十、當五十、當百鋳造
宝伊局再開 當五十、當百、當五百、當千の銭大を紅銭、黄銅銭で鋳造
1855年咸豊5年 喀什克尓(カシュガル)局成立
5月宝伊局で當四発行(1861年まで)
宝伊局で當十、制銭を鋳造
1856年咸豊6年 庫車局正式建局(2) 當五、十、五十、百の4種類を鋳造
1859年咸豊9年 叶尓羌局當五十、當百鋳造停止
喀什克尓局熄炉
1862年同治元年 庫車局で同治「當五」「當十」を鋳造
阿克蘇局で同治「當五」「當十」を鋳造
叶尓羌(ヤルカンド)局で同治「當十」を鋳造
宝伊局で同治當四大銭を鋳造
1864年同治3年庫車局停炉(3)
叶尓羌局停局
ラーシュ・アッディーンによる回文銭の庫車、阿克蘇での鋳造(新疆銭幣の記述)  

庫車鋳

阿克蘇鋳

1865年同治4年阿克蘇局鋳銭停止
1866年同治5年宝伊局停炉
1878年光緒4年 阿克蘇局、庫車局再開
阿克蘇局、庫車局で乾隆通寳を鋳造

満回文阿克蘇

満回文庫車

庫車局で乾隆倣宝源局上月などを鋳造
 

倣宝源局


 

 

背回文光緒

倣宝泉局


 

背回文光緒上月

1883年光緒9年 新疆省設置作業開始を記念して、乾隆阿克蘇銭、光緒庫車銭を発行。

上九 背満回文阿克蘇

九年十 背満回文庫車

阿克蘇局事故のため鋳造停止
1884年光緒10年新疆省設置
1885年光緒11年 同治「庫十」を庫車局で補鋳

 

庫十 左満文庫車・右回文庫車
1885-1906年

阿克蘇局 道光「阿十」補鋳
阿克蘇、庫車局で乾隆「喀十(什)」銭を喀什克尓局に代わって鋳造(1885-1889年)

阿克蘇局 喀十
満回文アクス
1888-1892年(?)

喀什克尓(カシュガル)局 喀十 満文宝庫車

1886年光緒12年 迪化宝新局建局
道光、同治、光緒「新十 満文宝庫車」を庫車局で迪化宝新局に代わって補鋳(1886-1906年) 

 

阿克蘇局再開

1886-1892年鋳造

1888年光緒14年喀什克尓局再開
1892年光緒18年宝伊局で1文の重量を1銭3分からを1銭3分5厘に加重
阿克蘇局を庫車へ移局
1895年光緒21年宝伊局で重量を元に戻す(1銭3分に減重)
1899年光緒25年庫車局で1分重量を減らして鋳銭
1907年光緒33年
(丁未)
迪化宝新局の委託により光緒丁未を庫車局で鋳造

新十 満文宝庫車

1908年光緒34年
(戊申)
迪化宝新局の委託により光緒戊申を庫車局で鋳造

新十 満文宝庫車

迪化宝新局鋳造停止
庫車局鋳造停止
喀什克尓局停止
1909年宣統元年 烏什局で庫車局に代わって宣統通宝庫十を鋳造

メ モ
  1. 背の右側に満文で叶尓奇木(ヤルキム)、左側に回文で叶尓羌(ヤルカンド)と書かれています。回文での「Yarkand」を満文では「Yerkim」と表記していてそれぞれを漢語の音訳が「叶尓奇木」と「叶尓羌」となり、一つの局名を回文→漢文と回文→満文→漢文の二つの経路を経ることによって表記が異なっています。それでは不都合と、漢文の「叶尓羌」の満文表記「Yerkiyang」と表記することによって、回文と満文の表記を漢文ですると「叶尓羌」と一致するように、満文表記を変えたそうです。
  2. 新彊紅銭大全図説では、乾隆庫車局の項には1856年 咸豊6年 庫車局正式建局とあり、咸豊庫車局の項には開局待考とあります。
  3. ラーシュ・アッディーンが同治3年(1864年)6月2日(回暦1280年)に庫車で蜂起していますので、新彊紅銭大全図説には記述がありませんが、付け加えました。そして回暦1281、1283年の年号がある庫車回文銭が発行されています。
     回暦1281年は西暦1864年6月6日〜1865年5月26日
     回暦1283年は西暦1866年5月16日〜1867年5月4日
  • 各項目の年について、資料によって1年程度のずれがある項目が幾つかあるようですが、上の年は新彊紅銭大全図説に書かれていた年と言うことで、何かの資料にしようとするときなどはもっとしっかりした資料を参考にするようにお願い致します。年の違いについては、ミスタイプ、行政上の組織の設置年と紅銭の実際の発行開始年の違いとかが考えられますが、詳細は各自確認願います。

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