2000年中国の旅 北京・敦煌・西安・北京

2000年中国の旅 北京・敦煌・西安・北京



 4回目の中国旅行(2000.8.31〜9.7)です。敦煌莫高窟をメインとして旅行計画を考えました。日本から敦煌にはいるには、北京、西安経由となります。そうすると北京か西安の観光との組み合わせになり、大手旅行社のパック旅行では、北京・西安は96年に行ったところばかりが日程に入っていました。そこで、初めてですが、個人手配旅行として行くことにしました。以下がその日程です。

8/31(木)津6:48→8:31上本町9:00→9:50関空
    11:00関空 全日空159便               食事手配
    13:10北京着
      万里の長城 慕田峪
    北京泊(五洲大酒店)                  夕
9/1(金) 午前中 北京市内観光                 朝
     故宮、景山公園、白雲観、古玩城           昼
    18:15北京発 西北航空WH2182
    22:15敦煌着
    敦煌泊(国際大酒店)
9/2(土) 莫高窟観光                      朝
     午前 一般窟                    昼
     午後 特別窟                    夕
    夕食後 月牙泉、鳴砂山
    敦煌泊(国際大酒店)
9/3(日) 敦煌郊外観光
     玉門関、漢の長城跡、のろし台跡、陽関、白馬塔    朝
    市内散策                       昼
     敦煌博物館、沙州市場                夕
    夕食後 敦煌民族舞踊ショー(敦煌賓館)
    敦煌泊(国際大酒店)
9/4(月) 10:45敦煌発 西北航空WH2232              朝
    13:15西安着
    興教寺、香積寺、西門                 夕
    西安泊(西安皇城賓館)
9/5(火) 西安郊外観光午前                   朝
     昭陵博物館、乾陵、乾陵博物館            昼
    西安市内観光
     青真寺、鐘楼、金泉銭幣公司             夕
    西安泊(西安皇城賓館)
9/6(水) 8:40西安発 西北航空WH2123              朝
    10:05北京着
    北京市内観光                     昼
     頤和園、香山公園、碧雲寺              夕
    夕食後 京劇
    北京泊(五洲大酒店)
9/7(木) 北京市内観光                     朝
     雍和宮、徳勝門、北京友誼商店
    14:30北京発 全日空160便
    18:15関空着
    関空19:05→19:55上本町20:03→21:23津

個人による手配と言うことで、計画は航空便を決める所から始めました。幸いなことに中国国内の航空機の時刻表もインターネットで調べられました。でも、5月に日程原案を作ったのですがその時には英語版と中国語版しか時刻表がなく、中国語は地名の入力ができないため使えず、中国の地名のアルファベット表現は観光ガイドブックとホームページをにらめっこしながらの航空便の決定となりました。後で知ったことですが、6月よりは中国国内線の日本語の時刻表もできていました。旅行日程の手配はインターネットでも営業している旅行社と地元大手旅行社の支店での合い見積もりとさせて頂き、各社には丁寧な対応をして頂きましたが、結局、中国国内の手配は中国国際旅行社、関空−北京間の往復航空券とビザの手配を、合い見積もりの時最もいい対応だったホリデイ株式会社に依頼しました。
 今回、個人手配旅行を初めて経験したのは、上にも書いたように訪ねるところが以前に行ったところと重なることを避けるためでしたが、それ以外にたくさんのメリットがありました。パック旅行での日程は人数が重なってバスでの移動と言うことになって、しかも、少々の渋滞があっても回れる日程しかない組んでありません。従って、2人での旅行となって、乗用車で回って、渋滞にも遭わないと、午後3時ぐらいには観光日程が終わってしまいます。(ガイドさんに頼んで、その時点でどこか好きなところに行ってもらうという手もあって、実行してもらったこともありますが、いざ、時間が余ったと言っても、余った時間で行ける適当な観光地がないこともあります)しかし、個人ではその辺は自由に組めます。体力との相談になりますが、今回の旅行では、関空から北京は朝の便を利用し、午後には、万里の長城を訪ねていました。また、移動の航空便も夕方とか朝の便を使って、移動のために1日をつぶす様なことも避けられました。細かい話になりますが、以前の旅行では機内食を食べた後、空港に到着したら、ガイドさんから「さあ、これから食事をどうぞ」と何度も言われてきて、食事はいらないと言っても、ガイドさんから私はまだだと言われ、予約を入れてある言われると食事を取らざるを得ず、減っていないおなかに食事を詰め込み、食事を残して、時間を潰して、いいことはありませんでした。しかし、今回は飛行機の機内食をあてにするときにははじめから食事を入れていない日程を組みました。また,パック旅行では必ず連れて行かれるお土産屋さんにも本当に時間が余ったときにしか行きませんでしたので,効率的な見学などができました。
 前置きが長くなりましたが、以下、訪ねたところを簡単に紹介させて頂きます。


1日目(8月31日) 関西国際空港から北京へ、そして、万里の長城

 関空を予定通り飛び立ちましたが、なぜか30分も早く北京に到着しました。予定の到着時間には入国手続きも済んで、ガイドの金さんとともに車(サンタナでした)に乗って、万里の長城に向かって出発しました。万里の長城は4年前には八達嶺に行きましたし、北京の空港は北京の東北にあり、そちらの方向の万里の長城と言うことで、慕田峪と言うところの万里の長城を訪ねました。行ったら、以外にガラガラ??、ガイドさんの話では、ここを日程に組んでいるパック旅行は午前中が多く、最近は八達嶺の方が高速道路もできて便利になったために観光客が減っているとのことでした。駐車場からロープウェーまでの間にあるお土産やさんでは、骨董品(解体家屋からはずしてきたような欄間のたぐい)が目に付きました。見て下さい、この長城での写真を!この写真は人が切れたときに撮りましたが、この広いところほとんど人が写っていません。(よく見ると少しはいますが、・・・(^_^;)

  


2日目(9月1日) 故宮

 アジア大会が北京で開かれたときにプレスセンターがあった五州大酒店に宿泊し、二日目は北京市内観光。まず、故宮博物院に行きました。4年前にも故宮博物院を訪ねましたので、今回は天安門から入らずに途中の午門から入って、故宮の中心線より西側を中心に見て回りました。そして、北の神武門を通って、景山公園まで歩いて、故宮を北から見渡しました。少し残念なのは、前日もそうでしたが、晴れが続いて、埃、スモッグなどで見通しが悪いことですが、仕方ないですね。こればっかりは、仕方ないですよね。(^_^;) また、カメラの電池を前日中国に着いてから変えましたが、その時日付は合わせたものの時間を合わせるのを忘れ、日付が変わっていませんでした。(-_-;) このことに気が付いたのが翌日お昼前でした。(^_^;)
 6時過ぎの飛行機に乗って、敦煌に向かいましたが、北京敦煌間は距離もあり、敦煌の空港が小さいので、航続距離の長い飛行機が使えないとのことで、銀川で給油のために30分ほど休憩が入りました。事前に調べたネットワークの時刻表にはそんなことは注にもどこにも書いてなかったのですが、帰ってから調べたら、北京−銀川の項に同じ便名の飛行機があり、途中給油であることが分かりました。どうでもいいことですが、・・・・
 北京−敦煌間4時間という国内移動でも関空−北京よりも時間がかかって、夜遅く敦煌の空港に着いて、ガイドの王さんに迎えられました。チョット寒いぐらいで1日の気温変化を聞いたら、9月1日の最低気温が12℃で、最高気温が32℃とのことでした。

3日目(9月2日) 敦煌 莫高窟

 この日は莫高窟で1日見学する予定でした。莫高窟の見学はガイドさんに連れられての団体行動が原則で、入り口の所で、1日コースの団体が来るまで30分近く待たされました。これがチョット個人旅行の辛いところです。見学はごく小さなバック以外持ち物は原則禁止とのことで、荷物預けに預けてしまい、写真がありません。でも、いらいらして待っていると来た団体さんはガイドさんがカメラを預けるだけで、けっこう大きな荷物も持ち込んでいて、荷物についてはどないなってるの?という感じでした。まあ、それでも、さすが莫高窟と言うところですが、残念ながら柵の外から撮った写真しかありません。午前中は一般窟の見学で、お昼にはなんと敦煌の街まで車で戻って敦煌賓館の食事でした。午後の見学は2時15分からと言うことで、たっぷりと昼食の時間があり、余った時間は敦煌賓館のお土産屋さんでお過ごし下さいというパック旅行のパターンにはまってしまいました。お土産屋さんを覗いていてもつまらないので、チョット表に出てみたら、通りの向こう側に骨董屋さんがあり、チョット覗いてきました。古銭を見せてもらうのが目的でしたが、日本での価格と変わらない値段を言われ、値切りましたが、チョットしかまけず、買わずに出てきました。午後の莫高窟見学は、午前中に一緒に見て回った団体さんが飛行機の時間に間に合わなくなったとのことで見学をキャンセルして、結局、この日1日コースで莫高窟を見学した日本人は私たち二人だけ、午後に一般コースを回っている人たちからは「あれは何者だ」(一般コースは扉の開いた窟を見学して回っているのに、特別窟見学は1つ1つ扉の鍵を開けては中を見学していましたので、そういうコースのことを知らないとそう思うでしょうね)なんて目で見られながら、見学しました。午後に見た光景としては、イギリスから来たという大学生の女の子たち二人は、言葉が通じないのをいいことに、ガイドさんも連れずに二人で自由に回っていました(うらやましかった。あんな風に回れたら、いいなぁー)結局、カメラもありませんでしたので、午後の近くからの莫高窟の写真はありません。でも、右下側の写真のようにまだ整備されていない部分の莫高窟の方が遠目ですが、よかったです。写真に写っているついでに、ガイドの王さんは大学の日本語学科を出て、ちょうど1年経ったところの若い蘭州出身の方です。

鳴沙山


月牙泉

 莫高窟の午後の見学は2時間ほどで終わってしまい、夕食を食べてからの鳴沙山の見学まで時間があり、夜光杯という石から削りだしたグラスと絨毯の工場件、お土産屋さんで時間を潰して、食事後、鳴沙山の観光に出かけました。何故、夜まで強行軍で見て回るのって?これが敦煌の標準的な観光です。だって、太陽が高い内に砂漠の観光は暑過ぎてできません。鳴沙山・月牙泉観光は日が傾いてからが標準です。食事を終えて、6時過ぎに出発し、月牙泉から駱駝に揺られて砂漠の散歩を終えたのは8時を越えていましたが、それでやっと暗くなり始めたころです。(何故そんなに遅くまで明るいかって? 中国は東西にも広がった大きな国ですが、国の中に時間差はなく、北京時間を採用しているからで、西の方は夜遅くまで、明るいことになります。その代わり、朝は遅くまで暗いですが、・・・)敦煌のガイドさんはたいへんだと思います。夕食後に2時間以上かかる観光コースが主要コースに入っていますから、どうしても労働時間が長くなります。
 鳴沙山は「砂漠だぁーー!」という感じですばらしかったです。砂漠の中の泉と言うのも綺麗でしたが、写真に撮るには逆光で大変撮りにくい位置にありました。夜明けのころに鳴沙山を訪ねる観光客もあるとのことで、これまたガイドさん泣かせですね。観光ガイドブックやパンフレットに載っている写真は早朝の写真です。

4日目(9月3日) 敦煌 玉門関、陽関への砂漠のドライブ

 8時20分頃敦煌の街を出て、街から離れるに従い緑が少なくなり、ポツンポツンとしか植物があるだけになって、とうとう、全く植物がなくなり、しばらくすると、また植物が見られるようになって、9時35分には玉門関に着きました。経路とした道は日本のガイドブックの地図に載っている道路とはかなり違いました。玉門関へは、敦煌から南西に阿克塞に向かう片側1車線の道をまっすぐ行って、西千仏洞に行く交差点を数キロすぎたところで北側に曲がって、1車線だけの簡易舗装のまっすぐな道路を60km(玉門関に近い10km弱はダート)近くで到着しました。玉門関への一本道は有料道路で、一人30元とあって、運転手さん、ガイドさん、私たち2人を合わせて4人かと思ったら、私たち2人に対してだけでした(要するに、観光有料道路でした)。この有料道路は私が見たいくつかのガイドブックには全く書かれておらず、大手旅行社から出ているガイドブックに「玉門関を訪れたいなら、玉門関だけを目標に日を改めて出直すこと」とありましたので、それを信用して、玉門関だけを訪ねるコースの予約を入れていましたが、北京にいるときに旅行社から陽関は何故行かないのかとの問い合わせがあって、玉門関から陽関に回ることにしていました。玉門関・漢の長城を見てから陽関に向かい、お昼には陽関に着きました(途中、道路工事中で遠回りをしてもですよぉー)。と言うことで、この道ができて状況が大きく変わったのか、それともガイドブックの記述がいいかげんなのか分かりませんが、玉門関、陽関方面への観光の際には要注意の事項です。河倉城の位置的な関係が計画段階では分かっておらず、観光先に入れていませんでしたが、玉門関から見て、漢の長城(玉門関から西5キロ)とは反対方向(東13キロ)ですが、車で15分程度らしいので、帰ってからそれを知って残念でした。
 話がそれましたが、玉門関には下右の写真のように、1つの大きな建物の壁が残っているだけで、他には管理事務所関係の建物以外何もありません。漢の長城は真ん中の写真のにあるように北京近くの明の長城の様には大きくはありませんが、2000年前の城壁ですから、すごいものです。陽関には狼煙台以外何も残っていませんが、高台の上にあって、周りのゴビ(日本語では鳴沙山のように砂だけの乾燥地も、土の地面が表面が砂利で覆われた乾燥地も砂漠と言いますが、中国語では砂の所を砂漠、砂利の所をゴビと言い分けるとガイドさんが言っていましたので、それに従います)が見渡せて、なんと表現したらいいのかが分かりませんが、いい景色でした。
 玉門関、陽関と回って、敦煌まで戻ってきたのが2時半頃で、郊外の白馬塔に寄って、それから中心部の敦煌市博物館を見学しました。敦煌市博物館の前には何台もの観光バスが止まっていて、大きな団体とかち合った、まずいぁと思いながら、敦煌市博物館に入ったら、ちょうど団体が出て行くところで、ラッキーでした。団体というのは中国駐在の各国の大使御一行様でした。敦煌市博物館の展示品は敦煌周辺からの出土遺物でした。
 敦煌2日間ともに1時間以上空き時間ができてしまい、もうチョット回りたかったと言うのが行っての感想ですが、ゆっくり休めたというのがよかったのかもしれません。これだけ時間があったら、西千仏洞に行けば良かったかも、・・・・・

5日目(9月4日) 西安

 昼過ぎに、西安に着くと、雨でした。午後の半日観光と言うことで、西安南郊外の香積寺と興教寺を回ってから、市内に戻って、シルクロードの起点である西門に登りました。

善導大師舎利塔

香積寺
 香積寺は浄土宗の大成者である善導大師にちなんだお寺で、日本からも浄土宗の関係者を中心にたくさんの人が訪れるそうです。左の写真の塔が善導大師のお墓に当たり、地下には遺骨が納められているとのことでした。この塔には10元で登らせてもらえました。途中までは階段がありましたが、その先は一気に二階とか三階分をものすごく急な梯子で登ることになりました。雨のために最上階までは行けませんでしたが、8階ぐらいの窓からの風景を右上に載せておきます。晴れていればのどかな農村風景と言った感じだと思います。右の塔はお弟子さんのお墓だそうです。
 


塔からの風景


五重塔


興教寺
 興教寺は西安市の南郊外にある玄奘三蔵をまつったお寺で、弟子の2人と共に舎利塔が3塔並んでいます。一番右の写真が玄奘三蔵の舎利塔で両側に弟子の舎利塔が並んでいます。

 後日談になりますが、玄奘三蔵の遺骨は黄巣の乱(875年)を避けるために南京に遷されたことが1942年に発見された石棺銘により判明し、1944年に日本仏教会に分骨され(日中戦争の時、南京で偶然発見され、日本軍は大事にこの遺骨をあつかって中国に返したので、特別に一部を日本が譲り受けたとのことです)、埼玉県岩槻市の慈恩寺(寺名に使われている慈恩大師[じおんだいし]は、法相宗の宗祖です)というお寺でお祀りされていて、更にその一部が奈良薬師寺(法相宗の大本山)に1981年に分骨されて、薬師寺では1991年に玄奘三蔵院を建立したそうです。玄奘三蔵の遺骨が一部とは言え日本にあるとは思いも寄りませんでした。


6日目(9月5日) 西安


昭陵博物館
 西安西北の昭陵博物館、乾陵博物館、乾陵と回って市内に戻りました。昭陵は唐の第二代皇帝である太宗・李世民の陵墓で、陵墓自体は自然の山を利用した世界最大の墓域を持つそうです。昭陵博物館は陪葬墓の一つである重臣・李勣の墓とその前にある展示棟などからなっています。観光コースには入っていないようで、ガイドさんも運転手さんも行ったことがなく、途中で道を聞きながら行きました。(^_^;) 博物館の展示は、規模はあまり大きくはありませんでしたが、陪葬墓から発掘されたすばらしい副葬品が展示されていました。

乾陵とその参道

乾陵博物館

 乾陵は唐の第三代皇帝である高宗と則天武后の合葬墓で、これも自然の山を陵墓としていて、写真を見て頂いても分かりますようにすごく立派な参道が続いています。写真に写っている参道はまだ参道の上の方の一部です。乾陵博物館は陪葬墓の一つの永秦公主の墓を主体とした博物館です。墳墓は比較的小さく、棺などの墓の主体は地下にあって、入り口からどんどん下り坂を下って行って、見ることが出来ました。
 その後、市内に戻って、清真寺へ行って、その周りの骨董街から鐘楼にかけて散策しました。とりあえず、紹介は省略させていただきます。


7日目(9月6日) 北京

 朝早く西安のホテルを出発して最初に驚かされたのは、私たちが進む片側三車線の道に片側二車線の道が交差している交差点で、二車線の一方向の信号機が故障していて、そこから来る車は周りの様子を見れば進む方向の信号が本来どの状態か分かるはずなのに全くお構いなして交差点にどんどんし入してきて、なっ、なんと、二車線分の車と六車線分の車が信号関係なしで、平面交差していました。私たちの乗る車は前が青でどんどん進みましたが、なかなかすごい光景でした。
頤和園
 10時に北京の空港について、11時には頤和園に到着しました。前回北京に来たときには雨が降り、時間も1時間ぐらいしかありませんでしたので、もう一度とやって来ました。晴天でした。(^_^)v 頤和園は王室の庭園として乾隆帝のころに整備され、1860年に英仏連合国に破壊されたところを西太后が海軍の軍費まで注ぎ込んで整備した庭園です。左の図を見ても分かるように非常に広大な庭園で私たちが回ったのは今回回ったのはごく一部ですが、2時間半かかり、昼食時間切れみたいな感じで見学をうち切りました。(長いこと昼過ぎまで待たせて運転手さんごめんなさい m(_ _)m )
 今回の見学は、まず、東宮門から入って、万寿山と言う築山の南側を進んで石舫まで行って、そこから南湖島まで遊覧船で行って、新宮門から外に出ました。これだけで、2時間半はかかってのは途中の建物をふらふらと見ながらだったのですが、下の写真をご覧下さい。

 

東宮門前にて

徳和園 大戯楼

仏香閣

 元は乾隆帝が延寿寺の塔として建てた物で塔の形をしているだそうです。中には大きな観音さんがありました。


仏香閣から見た昆明湖


香山公園 瑠璃塔

 こんな所で疑問を書いていいものかどうか分かりませんが、観光ガイドブックには瑠璃塔は清代に建造されたとありました。しかし、塔の一階部分に彫られていた石造の仏像からの印象はもっと古い物でした。どなたか、最初の建造年代をご存じの方がおられましたら、飯田へのメールでお教え願います。_(_^_)_

碧雲寺


8日目(9月7日) 北京

 雍和宮というラマ教の寺院、徳勝門という北京の城門を見て、北京友誼商店でお土産を買って帰りました。徳勝門にに何故行ったかというと,私の趣味の一つに古銭収集があり,徳勝門の建物を利用した北京市古代銭弊展覧館という古銭の展示館があるからです。そこの売店として、北京徳泉齋銭弊商店が入っており、貝貨、空首布から何でも売っているような大きな古銭屋さんでした。しかも、価格は私が持っている中国古銭目録の価格(物によって1/2〜2倍程度の違いはありますが、・・・)です。私が出会った古銭目録の価格で売っている店は黄山市の小さな古銭店に次いで2店目です。両方とも古銭の専門店ですから、露店や骨董屋の隅の古銭ではなく古銭専門店に行けば、ほぼ目録の価格で買えるのかも知れません。価格の話に入ります。最低は汚い乾隆通寳1元でした。康熈通寳2〜4元、順治通寳6元、紅銭各種10元、晋陽180元、垣字銭350元等々いっぱいありましたが、帰国前で1時間ほどしかなく、1個10元の紅銭の束などを見せられ、目移りしている暇に時間が過ぎ、未使用の乾元重寳20元(輸送途中で事故で埋もれた物が発掘されたとの話でした)、小五銖18元、などなど、貝貨から福建通寳まで20元以下の安いものばかり33枚、327元の買い物をしました。布では一番安かったの晋陽180元など、100元(1300円)から200元(2600円)クラスの物もたくさんありましたが、結局買わずに終わってしまいました。この店には日本の方もたくさん買いに来るという話でした。この店なら、普通の物なら何でも手に入りそうで、ちょこちょこと日本で買うのがいいのか(これが楽しみかも知れませんが、・・・)、古銭購入用に小遣いをためて、旅行のついでにまとめ買いをするのがいいのか迷ってしまいます。今度北京に行くときにはしっかりとここの時間をとって計画しようかとは思いますが、どうなりますことやら、・・・・

 とりあえずこんな所ですが、手抜きしたところは、また、時間があるときに、追加しておきます。


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