このページでは生まれ育った一身田について紹介させて頂きます。 一身田の町は伊勢平野のほぼ中央に位置する歴史のある町です。「一身田」というちょっと変わった町の名前は小さい頃には、律令制の頃の三世一身の法にちなんだ名前だと聞いていました(百科事典にもそう書いてありました(^_^;))が、奈良・平安時代に政治上の功績があった者や高位高官の者などに特別の勅命をもって与えられた「別勅賜田」で、その身一代に限って与えた「一身田」が地名として定着したもののようです(1)。地名の示すように農業集落としての一身田が長く続き、今の高田山専修寺の元になる無量寿院が15世紀に建設され、それが戦国期に四方に濠を巡らした寺内町を形成するようになりました。川を利用している南側を除いて堀もひょいと跨げるほどに狭くなっているところが多いですが、・・・・下のイラストは一身田の案内チラシ利用させて頂いています。 平成15年は翌日の新聞によると5万人もの人が訪れたそうです。平成30年の寺内町まつりは11月18日(日)(例年11月初旬〜中旬の頃です)に開かれます。詳しくは、平成30年の案内は、 津観光協会の案内ページや 案内チラシをご覧下さい(町は何も変わらないし、イベントも大きくは変わらないと思います(^_^;))。 |
一身田札
江戸時代に一身田で発行されていた銀札です。左のものは新たに発行準備していたものの、明治の初めに発行が認められず、未発行となったものとのことです。右のものは状態は悪いですが、流通していたものだと思います。京都の小野御殿(随心院:真言宗善通寺派大本山で、小野小町ゆかりの寺院)の名義を借りての発行のため表に「小野御殿御貸附御用所」とありますが、裏には「一身田改」と印が押してあります。 一身田ゆかりの紙幣と言うことでは他に正保2年(1645年)に高田羽書と呼ばれる一匁札が発行され、射和文庫(今の松阪市射和町にあった日本最初の私設図書館)に残っていると河藝郡史に記載があります(伝聞情報ですが、2011年現在射和文庫では高田羽書の存在を確認できなかったとのことです)。正保2年(1645年)1月23日に本山の御堂、客殿が火災で全焼しているそうですので、その再建のために発行されたのかもしれません(年号からの想像で根拠はありません (^_^;))。 |