蟻鼻銭は春秋戦国時代に現在の中国南部を治めていた楚の貨幣で,形式的には貝貨の伝統を受け継いだ銅製貝貨に分類される貨幣です。蟻鼻銭とは貨幣の形とそこに刻まれた文字の形から呼ばれる名前です。この貨幣には他の古銭とは違って、文字が凹んだ形で表されています。その文字について、写真1のものは「貝」「当半両」など、写真4は「君」、写真5は「各六銖」などの文字が当てられています。これらの文字については、結構古い時代の銭譜の説をそのまま紹介しているだけのようですので、読めもしないのに中国の貨幣についての書籍を購入して、拾い読みしました。このページは折角読んだ内容を忘れないための忘備録みたいなものですが、臆もせず、ここで公開させて頂きます。(^_^;)
文献1.、2.では写真1〜3の文字は異字体としか区別していませんでした。銭譜ではそれぞれ区別しています(3)。の文字は文献1.では、多数の解釈がなされているものの、「貝」あるいは「巽」とするものが有力で、「巽」とする説を採りたいとしています。根拠としては、重量単位の「巽」が銭銘になったものとして、「巽」は金偏に巽の文字で「銭」と同じ音であることを上げています。文献2.では、金文での「貝」の文字の目の画の表記として縦長○に横棒二本、あるいは横長○に縦棒二本の表記はあるが、▽▽はないとして否定的で、古印などの研究からは「巽」あるいは「郢(この文字の左下の画が壬になっていますが、文献で使っている文字は王ですので、違う文字かもしれませんが、左下が王になっている文字はコンピュータ上にありませんでした)」とされていることを紹介しています。「郢」とすると、郢は楚の都の都市名ですから、鋳造地名を銭銘とする春秋戦国時代の他の貨幣で見られる習慣に合致しますし、蟻鼻銭で最も多く見られる銭銘ですので、この貨幣が楚の主要銅貨が都で発行されたことを意味しますので、その点も合致します。しかし、「郢」文字は楚の金貨にある文字ですが、同じ国の金貨と銅貨で同じ文字を全く違う書体で表記する点に疑問が残ります。
古銭を集めている者として気になる発行時期については、春秋中期(1)、あるいは後期(2)頃から、それまで発行されていた無文銅貝にかわって、文字のある銅貝貨、すなわち、蟻鼻銭が発行されたそうです。
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