明刀と呼ばれる燕の刀貨の「明」と言う文字について,文献1.では、「明」、文献2.では、「堰(土偏を除いた文字)」、文献3.では、「易」としています。日本では「明」以外の解説を読んだ覚えがありません。何故そのような差が出たのかなどについて解説させて頂きます。 「明」の文字に当たる文字は古くは窓に月でと書くのと日に月での二体あったそうです(4)。文献3.では甲骨文、金文でその例が示されています。それが次第に統一され、窓が○に点で表されるようになって、「日」と形の上での差が無くなってしまったようです。月偏に「月」そのものと、「肉」から来た肉月と呼ばれる偏がありますが、そのような関係にあるようです。従って、明刀が鋳造された時期に使われていた「明」と言う文字が燕では、窓に月であるとすると、明刀の文字は「明」とは解釈できなくなり、他の文字を探すことになります。明刀が鋳造された時期に燕では日に月であれば、[明」と言うことになります。どちらかは私には分かりません。 「明」としても、金文の「明」の文字と明刀の文字には差がありますので、その差を見てみます。明字は古くはで表され,月画の|と日画の・を省画すれば明刀の明字に近づき,月を甲骨文ではと書き,初期明刀の一部(右写真の春秋晩期の燕の明刀)の明字とそっくりになります。金文の月字はと表し,これは中の・を省画すると斉明刀での明字とよく似ています。と言うことで,明刀に見られる文字は「明」と読んでいいようです。v(^O^)v
|
日画が明瞭ではありません が,・・・(^_^;) |
|