8/31(木)津6:48→8:31上本町9:00→9:50関空 11:00関空 全日空159便 食事手配 13:10北京着 万里の長城 慕田峪 北京泊(五洲大酒店) 夕 9/1(金) 午前中 北京市内観光 朝 故宮、景山公園、白雲観、古玩城 昼 18:15北京発 西北航空WH2182 22:15敦煌着 敦煌泊(国際大酒店) 9/2(土) 莫高窟観光 朝 午前 一般窟 昼 午後 特別窟 夕 夕食後 月牙泉、鳴砂山 敦煌泊(国際大酒店) 9/3(日) 敦煌郊外観光 玉門関、漢の長城跡、のろし台跡、陽関、白馬塔 朝 市内散策 昼 敦煌博物館、沙州市場 夕 夕食後 敦煌民族舞踊ショー(敦煌賓館) 敦煌泊(国際大酒店) 9/4(月) 10:45敦煌発 西北航空WH2232 朝 13:15西安着 興教寺、香積寺、西門 夕 西安泊(西安皇城賓館) 9/5(火) 西安郊外観光午前 朝 昭陵博物館、乾陵、乾陵博物館 昼 西安市内観光 青真寺、鐘楼、金泉銭幣公司 夕 西安泊(西安皇城賓館) 9/6(水) 8:40西安発 西北航空WH2123 朝 10:05北京着 北京市内観光 昼 頤和園、香山公園、碧雲寺 夕 夕食後 京劇 北京泊(五洲大酒店) 9/7(木) 北京市内観光 朝 雍和宮、徳勝門、北京友誼商店 14:30北京発 全日空160便 18:15関空着 関空19:05→19:55上本町20:03→21:23津 |
鳴沙山 |
莫高窟の午後の見学は2時間ほどで終わってしまい、夕食を食べてからの鳴沙山の見学まで時間があり、夜光杯という石から削りだしたグラスと絨毯の工場件、お土産屋さんで時間を潰して、食事後、鳴沙山の観光に出かけました。何故、夜まで強行軍で見て回るのって?これが敦煌の標準的な観光です。だって、太陽が高い内に砂漠の観光は暑過ぎてできません。鳴沙山・月牙泉観光は日が傾いてからが標準です。食事を終えて、6時過ぎに出発し、月牙泉から駱駝に揺られて砂漠の散歩を終えたのは8時を越えていましたが、それでやっと暗くなり始めたころです。(何故そんなに遅くまで明るいかって? 中国は東西にも広がった大きな国ですが、国の中に時間差はなく、北京時間を採用しているからで、西の方は夜遅くまで、明るいことになります。その代わり、朝は遅くまで暗いですが、・・・)敦煌のガイドさんはたいへんだと思います。夕食後に2時間以上かかる観光コースが主要コースに入っていますから、どうしても労働時間が長くなります。 鳴沙山は「砂漠だぁーー!」という感じですばらしかったです。砂漠の中の泉と言うのも綺麗でしたが、写真に撮るには逆光で大変撮りにくい位置にありました。夜明けのころに鳴沙山を訪ねる観光客もあるとのことで、これまたガイドさん泣かせですね。観光ガイドブックやパンフレットに載っている写真は早朝の写真です。 |
昼過ぎに、西安に着くと、雨でした。午後の半日観光と言うことで、西安南郊外の香積寺と興教寺を回ってから、市内に戻って、シルクロードの起点である西門に登りました。 | ||
善導大師舎利塔 |
香積寺 香積寺は浄土宗の大成者である善導大師にちなんだお寺で、日本からも浄土宗の関係者を中心にたくさんの人が訪れるそうです。左の写真の塔が善導大師のお墓に当たり、地下には遺骨が納められているとのことでした。この塔には10元で登らせてもらえました。途中までは階段がありましたが、その先は一気に二階とか三階分をものすごく急な梯子で登ることになりました。雨のために最上階までは行けませんでしたが、8階ぐらいの窓からの風景を右上に載せておきます。晴れていればのどかな農村風景と言った感じだと思います。右の塔はお弟子さんのお墓だそうです。
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塔からの風景 |
興教寺 後日談になりますが、玄奘三蔵の遺骨は黄巣の乱(875年)を避けるために南京に遷されたことが1942年に発見された石棺銘により判明し、1944年に日本仏教会に分骨され(日中戦争の時、南京で偶然発見され、日本軍は大事にこの遺骨をあつかって中国に返したので、特別に一部を日本が譲り受けたとのことです)、埼玉県岩槻市の慈恩寺(寺名に使われている慈恩大師[じおんだいし]は、法相宗の宗祖です)というお寺でお祀りされていて、更にその一部が奈良薬師寺(法相宗の大本山)に1981年に分骨されて、薬師寺では1991年に玄奘三蔵院を建立したそうです。玄奘三蔵の遺骨が一部とは言え日本にあるとは思いも寄りませんでした。 |
昭陵博物館 |
乾陵とその参道 |
乾陵博物館 |
乾陵は唐の第三代皇帝である高宗と則天武后の合葬墓で、これも自然の山を陵墓としていて、写真を見て頂いても分かりますようにすごく立派な参道が続いています。写真に写っている参道はまだ参道の上の方の一部です。乾陵博物館は陪葬墓の一つの永秦公主の墓を主体とした博物館です。墳墓は比較的小さく、棺などの墓の主体は地下にあって、入り口からどんどん下り坂を下って行って、見ることが出来ました。
その後、市内に戻って、清真寺へ行って、その周りの骨董街から鐘楼にかけて散策しました。とりあえず、紹介は省略させていただきます。
朝早く西安のホテルを出発して最初に驚かされたのは、私たちが進む片側三車線の道に片側二車線の道が交差している交差点で、二車線の一方向の信号機が故障していて、そこから来る車は周りの様子を見れば進む方向の信号が本来どの状態か分かるはずなのに全くお構いなして交差点にどんどんし入してきて、なっ、なんと、二車線分の車と六車線分の車が信号関係なしで、平面交差していました。私たちの乗る車は前が青でどんどん進みましたが、なかなかすごい光景でした。
頤和園
10時に北京の空港について、11時には頤和園に到着しました。前回北京に来たときには雨が降り、時間も1時間ぐらいしかありませんでしたので、もう一度とやって来ました。晴天でした。(^_^)v 頤和園は王室の庭園として乾隆帝のころに整備され、1860年に英仏連合国に破壊されたところを西太后が海軍の軍費まで注ぎ込んで整備した庭園です。左の図を見ても分かるように非常に広大な庭園で私たちが回ったのは今回回ったのはごく一部ですが、2時間半かかり、昼食時間切れみたいな感じで見学をうち切りました。(長いこと昼過ぎまで待たせて運転手さんごめんなさい m(_ _)m )
今回の見学は、まず、東宮門から入って、万寿山と言う築山の南側を進んで石舫まで行って、そこから南湖島まで遊覧船で行って、新宮門から外に出ました。これだけで、2時間半はかかってのは途中の建物をふらふらと見ながらだったのですが、下の写真をご覧下さい。
東宮門前にて |
徳和園 大戯楼 |
仏香閣 元は乾隆帝が延寿寺の塔として建てた物で塔の形をしているだそうです。中には大きな観音さんがありました。 |
仏香閣から見た昆明湖 |
香山公園 瑠璃塔 こんな所で疑問を書いていいものかどうか分かりませんが、観光ガイドブックには瑠璃塔は清代に建造されたとありました。しかし、塔の一階部分に彫られていた石造の仏像からの印象はもっと古い物でした。どなたか、最初の建造年代をご存じの方がおられましたら、飯田へのメールでお教え願います。_(_^_)_ |
とりあえずこんな所ですが、手抜きしたところは、また、時間があるときに、追加しておきます。